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Matter-Luginbühl AG
スイスで4代続く老舗蒸留所とMansintheのお話。
現在の所長、オリバー氏の曾祖父が設立したE. Luginbühl-Bögli Aarberg から、現在のMatter-Luginbühl AG Kallnachまで、4代にわたる蒸留所のオリジナル製品は、"Martinazzi Bitter"です。この苦味酒(ビターリキュール)は、1864年トリノではじめてつくられました。蒸留所の設立者でアールベルグ出身の Ernst Luginbühl-Bögliが、スイスにあるMartinazziの製造社へ持ち込み、スイスで最初のビターアペリティフが製造されたのです。それは1934年シカゴで開催された品評会で、”Martinazzi Bitter "は、世界的に高い評価を得ています。
*現在の蒸留所内また、1934年の5月2日から7月27日まで、いわゆる”品評会列車"がスイスを横断するツアーが開催され、Luginbühl-Bögli社はゲストたちをMartinazzi barで歓迎しました。この旅する品評会は"スイスの商品を買うことはクリエイティブなこと"をモットーに開催され、このスローガンは今日まで存続しています!また、有名な植物学者Joh. Künzliが、Martinazzi barを訪れた後でこう日記に書いています。『Martinazzi はとても体に良い。』またこの電車が停車するたびに、駅長がバーの日記に記帳しましたが、当時の文書は今もなお存在していて、Kallnachの蒸留所で見ることができます。
1947年、オリバー氏の曾祖父、Ernst Luginbühl-Bögli (以後、Ernst)はベルン州に農場を買い、そこで、彼は古い品種のプラムを蒸留する目的で育てました。それは、その当時、そのあたりではとっくに忘れ去られた果実でした。彼はその果実を"Löhrpflümli"と名付けています。今日、Löhrpflümliはオーストラリアやドイツで見つけることができ、蒸留するのには特別すばらしく、美味だと高い評価があります。同時に今日のヨーロッパのアルコール蒸留者のあいだで、Löhrpflümliは「最高の果実のひとつ」との評判を得ています。さらに、彼は農場を拡大し「最高級の家畜がある」とスイス中で有名になるほどになりました。そこにはスイス連邦の議員など、たくさんの客や友人が訪れ、Martinazziのグラスをかたむけながら、多くのビジネス取引がなされたということです。
50年代の終わりには、E. Luginbühl-Bögli Aarberg 社は次の世代へバトンタッチすることにし、二人の息子であるPaulとHansにバトンは手渡されました。そこで、E. Luginbühl-Bögli & Sons, Aarberg カンパニーが誕生したのです。創始者のErnstも1969年に亡くなるまで、息子たちを助け続けたといいます。
3世代目には、会社は農場、レストラン、蒸留所、そしてワインなども揃えるショップを経営し、それぞれが分割されていました。しかしながら、現実的には蒸留所を引き継ぎたい者は誰もいなかったのです。しかし1985年、孫娘のElsbethと夫のChristian Matter-Luginbühl が長年の社員とともに、蒸留所を継ぐことになりました。
*オリバー氏と家族1990年には、彼らの息子であるオリバー氏が会社に入り、1996年、蒸留所は現在のKallnachの地に移動しました。2006年、会社はオリバー氏に引き継がれ、彼と奥さんのニコールさんが、4世代目としてこの冒険的な蒸留所をきりもりしています。現在は、グループで、アブサンを蒸留するコースに参加できたり、蒸留所の見学もできます。(ほぼ100年に及ぶアブサン禁止ののち、2005年3月、スイス連邦議会は、ベルモット*を他の蒸留酒と同等に強い酒だとし、アブサンはそのなかで1番強いものであるとしながらも、合法化しました。(*白ワインにニガヨモギ、その他の香草のアルコール抽出液を配合してつくる食前酒)
合法化されたその日から、オリバー氏は古いアブサンのレシピを使う手法を得意とし、アブサンを製造しています。Matter-Luginbühl AG蒸留所の最初のアブサンは"Kallnacher Absinthe"という名前がつけられました。古いレシピというのは、偉大なる曾祖父が、Val de Traversとの農人との交換取引で手にいれたものです。彼の趣味は家畜の飼育でしたが、娘と婿へのプレゼントの金の時計と交換に、上等な牛を手放しました。このような取引のなかで、アブサンのレシピは代価として手に入れました。しかし、アブサンは禁止されていましたので、それを使うことはありませんでした。この取引の価値が本当に理解できるのは、今だからこそなのです。
これらのアブサン製品は、ふたりの業者、ドイツのAbsinthvertrieb、LionさんとイギリスのLiqueurs de France、からもちかけられた興味深い話からできあがったものです。マーカス氏との連結作業のなかで、オリバー氏は緑と白のバランスから成る、”the Absinthe Duplais series”を開発しました。2006年、これらの製品の品質はプロの審査員を納得させるまでになり、マーカス氏とオリバー氏のチームは、International Wine and Spirits Competitionで、最高評価であるゴールドメダルを獲得しました。同じく、Swiss schnaps forumでは”アブサン オブ ザ イヤー”を獲得。さらに、ドイツで”Absinthe Duplais Verte”は、ナンバーワンのポジションにあります。
アブサンのラベルは国際的なアーティストによりデザインされたものを使用してきました。最初のラベルは、スイスの著名なアーティストであるH. R. Gigerによるもので、彼は彼の作品のうちで最も有名なひとつを提供してくれました。Brain Salad Surgery (恐怖の頭脳改革)IIは1973年に発表されましたが、そもそもはEmerson Lake & Palmer(エマーソン・ レイク・アンド・パーマー)の同タイトルのアルバムに使用された絵でした。その絵は、独特で、うっとりするような静寂を放ち、初めて見たときからその魔力に引きずり込まれます。
*左から Mr.マーカス、Mr.マリリン・マンソン、Mr.オリバーそういった流れのなかで、2005年にはミュージシャンであるマリリン・マンソンと出会い、彼のオリジナルアブサンをつくることになりました。オリバー氏は膨大な数のサンプルをマンソンの住むカリフォルニアに送りました。この”マンサン”の最終レシピが完成したのは、2007年の4月のことで、初めてから2年が経過していました。2007年の6月、”マンサン”ははじめのうち、試作品や限定生産品の生産しかできませんでしたが、2007年、7月13日金曜日、マリリン・マンソンとの契約が成立し、製造が開始できることになったのです。
最初から、”マンサン”が目的としたのは以下の2つです。ひとつめは、「伝統的な手法で植物から蒸留されたアブサン」。ですから、人工着色料や人工甘味料は使用していません。ふたつめは、「アブサン愛好家の方々には高い評価を得られながらも、第一には初心者の方々の興味をそそる商品であること」。
”マンサン”により、 Absinthvertrieb Lion とMatter-Luginbühl AG のパートナーシップが、優れたアブサンを製造すること、そして、それを世界中に売ることが可能であると証明しました。
また、新たに、国際的なアーティストとの興味深いプロジェクトが進行中です。
