
昔からアブサンは体に良いと有名でした。ご存知のように、アブサンはスイスでが発祥の地です。第一号の蒸留所は、1798年頃、「クベ」の地に建設され、一日あたり16ℓ製造されていました。
アブサンが成功したのは、フランスの「ポンタルリエ」という町にあった多くの蒸留所のおかげです。ここで、1915年に禁止されるまで、アブサンは大量に製造されました。「ポンタルリエ」だけでなく、「フジェロール」「マルセイユ」「リオン」「パリ」またはその他フランスまたはスイスの都市でアブサンの蒸留所が設立されました。
そのころ、パリでは、パン屋よりもアブサンショップの数のほうが多かったといいます。このお酒は、とりわけボヘミアンたちに愛されましたが、あらゆる階級、職業の人々にもまた、とても人気がありました。
1915年、アブサンは突然の最後を迎えます。そのとき、アブサンはすでにほとんどヨーロッパ中に広がっていました。アブサン愛好家はあまりにも多数存在しました。道徳的堕落、家庭紛争などが広がり、その結果、広範囲でアブサンが拒絶されていくことになりました。もはや禁止法は避けられなくなったのです。その背景には、アブサンの人気が高く、ワインやビールなどの酒の売れ行きが落ちていたので、アブサンの売れ行きを下げるために、様々なプロパガンダが行われていたとも言います。それほどまでにアブサンを愛好した人々がいたということです。(注:アブサンがドラッグのような影響を引き起こすことはありません。)
しかしながら、アブサンはスイスで生き残りました。スペイン、イギリスにおいてはフランス、スイスほどの人気には達しなかったものの、決して禁止されることはありませんでした。
禁止から80年ほど経過し、規制の下、アブサンはふたたびEUに認可されました。それ以来、アブサン人気は一定して上昇しています。

